市場:ケバブがヨーロッパ文化の象徴に?

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市場:ケバブがヨーロッパ文化の象徴に?

ドネル・ケバブがヨーロッパで政治問題に?

ハンバーガーと共にドネル・ケバブはフランスで最も人気のあるファストフードとなっている。予期せぬ関心と議論が起きて、かつて踏み入れられなかった分野での文化軋轢が生まれている。2017年12月、欧州議会保健委員会は冷凍ケバブ肉に使われていたリン酸塩添加物の使用禁止を決定した。これは公衆衛生のための単純な管理上の調整にすぎないはずだったが、激しい非難が起こり思いがけず政治問題にまで発展した。

ドネル・ケバブは、「救われる」必要があるのか?

パリにあるケバブ屋Paristanbul(パリのイスタンブール?)
写真:Gideon/Flickr、CC BY

ドイツ欧州議会議員Renate Sommer氏(CDU)がフェイスブックで最初に声を上げ、この決断は小さなレストランオーナーに不利に働き、何千もの失業者を出す可能性があると主張した。

話はすぐに広まり、ヨーロッパのメディアに取り上げられた。ビルド紙が Renate Sommer氏の懸念を掲載し、ガーディアン紙、ラ・レプッブリカ紙、エル・パイス紙も後に続いた。

騒ぎになったため、2週間後欧州議会はEFSA(European Food Safety Authority)による今後の査定を理由に決断を延期した。

内輪もめに思えるかもしれないが、この事件は当初思われた小さな問題ではない。絶望と怒り、興味本位や喜びなど様々な反応の連鎖は、質素な外観のドネル・ケバブが実は今日のヨーロッパ社会が直面する社会的、政治的問題、そしてアイデンティティーの問題を象徴していることを示す。

ドネル・ケバブとの愛憎関係

ドネル・ケバブをめぐるヨーロッパの物語は、まずはこの料理が労働者のための食事そして典型的な夜食として、予想に反し驚くべき成功をおさめたことから始まる。

ドネル・ケバブは1930年代中頃アナトリアから追放されたギリシャ系およびアルメニア系のレストランオーナーがメニューに加えたことでヨーロッパに導入された。当時は移民たちが故郷を思い出すことのできる安価で素朴な料理にすぎなかった。

1855年オスマン帝国で撮られた、回転式串焼き機で肉を焼くドネル・ケバブを撮影したもののうちで
最も古いと考えられる写真。写真:James Robertson/Wikimedia

ドネル・ケバブやそれに似た料理は世界中に広まり、gyro(ギリシャ語)、al pastor(スペイン語)などと呼ばれ、各地域で様々な形に発展している。

西ヨーロッパでドネル・ケバブが大きく広まったのは1980-1990年代になってからのことだった。産業の空洞化が起こり、多くの労働者が解雇され、その中でも特に多かったトルコ出身者が食品業界に参入したのだ。

料理の専門知識を持たず資本も少なかった彼らは、ドネル・ケバブに目を向けた。彼らの安価なレストランは、昼夜を問わず気軽に食べられる場所を求める労働者、学生や移民向けであった。これが思いがけず人気となり、ドネル・ケバブは次第にヨーロッパの街の料理をめぐる社会的風景に居場所を築いていった。

1日数百万のケバブ消費

ドネル・ケバブの人気には驚くべきものがある。現在パリだけでも550店以上のケバブ屋がある。イギリスでは、報道によると17,000の店舗で販売されている。ヨーロッパにおけるドネル・ケバブの中心地ドイツでは、2017年、日々200万のドネル・ケバブが食された。

この成功の驚くべき点は、それが世界的な大手食品企業に頼らずに、何万もの独立した食品販売者の(ほぼ無意識的)「才能」から生まれた点である。彼らは、ハラル肉に関する消費者の文化的道徳的要求に専念して対応しながら、急速に変わり続けるヨーロッパの食生活にも合わせてきた。

しかし成功には代償もあった。人気が高まるにつれ、ケバブに対する慎重論も増加していった。多くの記事やメディアの中で一部の店舗の衛生状況が疑問視され、怪しげな肉で作られた、脂肪分の多いあまり美味しくない食べ物というイメージも広まった。

移民たちからヨーロッパへの贈り物

時にそのようなレッテルを張られながらも、ケバブは数多くのヨーロッパの人々から熱烈な支持を得た。彼らにとっては、それは手ごろな値段の美味しい食事にとどまらず、活気ある文化交流の価値を示す好例であった。

「マクドネル:ドネル・ケバブとトルコ系ドイツ人の社会的地位を求める戦い」という1999年の研究論文の中で、研究者のAyse Çaglar氏は、ドネル・ケバブとドイツに住むトルコ移民の間の全般的に前向きな関係を取り上げている。Ayse Çaglar氏は、1980年代ベルリンで起きた外国人を擁護するデモで叫ばれた、「外国人無しではケバブもないぞ!」や、「我々無しではケバブもないぞ!」などのスローガンを引用して、「ドネル・ケバブはドイツの『外国人問題』をめぐる議論の一部となっている」と書いた。

この文化的、政治的繋がりの存在は、決してドイツだけにとどまらない。あるロサンゼルス・タイムズ紙の記者にとって、ドネル・ケバブは「トルコ移民のドイツへの贈り物」に他ならないのだ。

Centre for Turkey Studiesのセンター長であり、British Kebab Awardsの理事長も務める Ibrahim Dodus氏によると、「質素なケバブは、統合の成功例に関する力強いメッセージを秘めている。それは新参者と元々食べていた人たちをつなげる力を持っている」のだ。

ケバブを隠せ・・・?

しかしこの見解は全ての人々に共有されているわけではない。2009年1月、トスカーナ州ルッカでは敵対的な措置が採られた。町議会が、「我々の料理の伝統及び建築、文化と歴史の正当性」を保護する必要があるとの議論から、「異なる民族に由来する活動を行う施設」の禁止を決定したのだ。(この措置によりアメリカのファストフードチェーン店の禁止も意図されたのかどうかは定かでない。)同様の措置が、フォルテ・デイ・マルミ、パドヴァ、カプリアーテ・サン・ジェルヴァージオ、ヴェローナなどのイタリアの街でも導入された。

2014年に右派の政治家Robert Ménard氏がフランスの都市ベジエの市長に選ばれると、街の歴史的中心部からケバブ店がなくなることを望むと宣言した。 ベジエ市長の主張は行動にはつながらなかったものの、このような宣言はケバブがただの夜食を超えた意味を持つことを示している。

一部の人々にとっては多文化共生のシンボルであり、また他の人々にとっては際限のないイスラム化を象徴するドネル・ケバブは、1つの社会現象であり、今日のヨーロッパ社会におけるアイデンティティーや政治的分断の問題をはっきりと映し出す鏡となっているのだ。

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